マスコミ取材


☆2011年11月 屋久島七福神霊場開創大法要

   2時間の法要を 15分の ダイジェスト版に

   

☆2011年11月  車載カメラ・早送り 13分で ぐるっと

    屋久島七福神めぐり  開運招福!

  



H23.11.11  高野山時報

 

屋久島に七福神霊場を開創

尾之間三岳を仰ぎ庄野大導師のもと大法要

 平成5年に日本で初めてユネスコ世界(自然)遺産の指定を受けた屋久島(鹿児島県熊毛郡屋久島町)で、七福神霊場(毛利英樹会主)が開創され、同島では初となる真言密教による「屋久島七福神開創記念大法要」が、1017日、庄野光昭高野山真言宗宗務総長大導師のもと、池口恵観鹿児島烏帽子山最福寺法主(同霊場会相談役)、曽根義泉愛媛定蓮寺名誉住職脇導師により、近隣島民やツアー参加者も参列して盛大かつ厳粛に勤修された。

  大法要開白に先立ち、井上襄最福寺関西信徒総代司会により、尾之間三岳(割石岳、耳岳、モッチョム岳)を仰ぐ尾之間地区仏峯の霊場本殿に設けられた大壇前において、益救(やく)神社の大牟田信文宮司による神式での祈願(開創祭)が執り行われ、修祓、降神の儀、献饌、祝詞奏上、清祓の儀、玉串拝礼の後、参列者代表が玉串を神前に納めた。続いて、徹饌、昇神の儀を営み、最後に参列者全員が拝礼し、開創祭を終了した。

 引き続き、島内の3~5歳の幼稚園児による稚児行列があり、鮫嶋勇明師が稚児一人ひとりに加持を行い子供らの健康と家内安全を祈念した。

 

大法要に移り、集会の鐘と共に集会所である慈尊庵において赤星会奉行が披露文を読み上げ、行道の鐘と共に庄野太導師、池□、曽根両脇導師、職衆が進発。大壇前で庭讃を営み着座、三禮、洒水、唄、散華、献灯・献花・献香、対揚、唱禮、前讃、中曲と進み、慶讃文(別掲)が池口豪泉最福寺資により奉読され、後讃、至心回向、般若心経、不動真言、七福神真言、諸真言の後、下禮盤した。

 

 引き続き、平原一雄高野山枢議(最福寺信徒総代)が「屋久島七福神霊場開創法要に感動した。今日の大法要は、縄文杉の世界遺産屋久島と霊場の世界遺産高野山とが交差して必ずや世界平和、人類の平和に届くであろうと強く感じた」と。

 

また、庄野宗務総長が「屋久島七福神が世界平和のために、或いは日本人の心の源となるように一生懸命祈らせて頂いた。

足りないところは脇導師の百万枚護摩行者・池口伝燈大阿闇梨と曽根僧正、職衆の方々の力を借りて願いが通じたものと感じている。二つの世界遺産が結び合えば必ず日本は良くなると願いながら導師を 勤めたが、昨今、日本は災害が非常に多く、日本人の心が 不安定となり何を頼りにすれば良いのか分からない状態となっている。屋久島には縄文杉に象徴されるように長い年代に亘る島特有の文化があり、自然を見事に伝え、神と仏の融和を図ってきた。七福神は非常に有難いむので、大黒天、毘沙門天、弁財天は印度のヒンズーの神、福禄寿、寿老人は中国の道教の神、布袋尊は中国の寧波で実在した人、恵比寿は日本の神様である。これらを融合した七福神を屋久島に建立されたという事は、全てのものを取り含んでいこうというもので有難い。七福神霊場が、この島はもとより、日本の、更に世界の平和に繋がるものとなる事を念願している」と祝辞を述べた。

 

 それを受けて、毛利会主が法要出仕者、参列者及び地元住民に御礼を述べ「幟に書いてあるプロジェクト7530は、私の志に賛同してくれた池口豪泉師の発案であり、『七福神でゴミゼロ』『七福神で和みの輪』という大きな二つの理念が込められている。屋久島に七福神をバランスよく配置して、観光客や地元の人々が参拝する事により、その場をきれいにし、人の身も心もきれいになる。7つの地を巡る事により屋久島の自然から多くの事を学び、自然への畏敬の念を育てて欲しいと願っている。将来的には四国八十八ヶ所霊場のように遍路旅をする人、それを接待する人々によって、大きな光を受け大きな徳を生む地となり、二つの世界遺産の地、屋久島と高野山を結ぶ大きな流れとなり、少しでも東日本復興、世界平和に繋がるようにと願っている。生まれたばかりの霊場であるが、今後は地域集落の皆様を中心に屋久島を愛して下さる人々や関係各所の皆様のお力を頂戴しながら100年、いや1000年続く信仰の場として、また観光の拠点、情報の発信源となるように大きく育てて頂きたい。最後に、屋久島で生まれ育ち15歳から定年まで屋久町役場一筋に45年間、屋久島行政のために働き5年前から一緒に屋久島七福神構想に尽力しながら、昨年7月29日に急遷した父・毛利幸則の供養にもなればと願う」と挨拶した。

 

 大導師、脇導師及び職衆が還列。参列者に紅白の重ね餅が振舞われた。

 職衆=岡部兼海(唄)、須藤哲乗、岡部観栄、阿河康真(散華)、後藤密童(対揚)、小森良峯(中曲)、池口雄紹(経頭・鐃)、鮫島勇明(讃頭・鉢)。

会奉行=赤星善生、池口豪泉(慶讃文・太鼓)。

 

 なお、前日の16日には霊場各所において七福神像の開眼法要が営まれ、池口豪泉最福寺資及び鮫嶋勇明師導師により地元住民及びツアー参加者と共に折りを捧げ、導師が各像に墨により眼を書き入れた。

 

 ■霊場紹介■

 第1番・弁財天(夫婦円満・知恵を与える神)吉田地区・森山神社内

 第2番・福禄寿(長寿・長命の神)宮之浦地区・宮之浦川のほとり

 第3番・布袋尊(平和を授ける神)小瀬田・長峰地区・屋久島空港前

 第4番・毘沙門天(家族を守り勇気を与える神)春牧・安房地区・屋久杉            ランド入口

 第5番・大黒天(豊作開運招福の神)中間地区・中間ガジュマル近く

 第6番・寿老人(家庭円満・無病息災の神)麦生地区・県道77号線脇

 第7番・恵比寿(商売繁盛・大漁の神)尾之間地区・慈尊庵前

 

屋久島七福神の理念Project7530

 屋久島七福神は、屋久島に縁りのある有志が恩返しの思いを込めて、屋久島に訪れた人々が世界自然遺産の屋久島に七福神を祀り各霊場を巡る事によって、自然の有難さ、生命の尊さ、ご縁の大切さを感じ、屋久島の存在意義に気付いてもらう事を理念として誕生した。

 また、project7530を掲げ、1つ目には「七福神でごみゼロ」、もう1つに「七福神で和みの輪」との想いから、山岳信仰の拠点でもある集落を中心に七福神をバランスよく配置し、その集落の人々や観光客が各霊場を参拝する事によって、1つ1つの点が7つの拠点を結ぶ線となり大きな徳の集まる光となって、屋久島から九州、九州から日本、日本から世界へと、それらの想いが拡がるようにとの願いが込められている。

 

屋久島七福神霊場

   開創大法要慶讃文

 謹み敬て真言教主大日如来両部界会諸尊聖衆 殊には高祖大師遍照金剛 別ては密教擁護諸大善神 総じては佛眼所照一切三宝の境界に白して言さく 古来、日本人は山川草木に神を見 畏敬せし 自然崇拝の民族なり 縄文杉に象徴されし屋久島もまた 山岳信仰 自然崇拝盛んに行われし信仰の島なり

先年 縄文以来の自然残りし屋久島 世界遺産に登録さるは大いに慶賀すべきことなり しかれども観光客の増大 自然破壊助長する危険性なきにしもあらず それ阻止するは 屋久島に伝わりし自然を崇拝し自然と共生する祈りの心なり

 ここに一人の篤志家あり 屋久島伝統の信仰心さらに磨き人と自然の共生に活かさんと発願し 屋久島七福神霊場の開創に邁進す 屋久島に生を受け鹿児島で医療法人慈尊幸徳会・毛利歯科クリニック営む毛利英樹 氏こそ その人なり

  七福神とは 恵比須 大黒天 毘沙門天 弁財天 福禄寿 寿 老人 布袋の七神なり それぞ れ漁業の神 台所の神 財を施 す神 水と智慧・音楽の神 南 極星の化身 長寿の神 弥勒の 化身を象徴す いずれも人々の生活に縁深く よく親しまれし神々なり

 縄文以来の大自然に抱かれ自然との共生に励む信仰の島屋久島に 新たに七福神霊場誕生し 島民に愛され 観光客に親しまれれば 屋久島いよいよ信仰の光増し 縄文以来の大自然 末長く安泰なり 助力を懇請されし我が子豪泉毛利氏の竹馬の友にして 氏の意を汲み 屋久島七福神霊場の向かわんとする所を「プロジェクト7530」として示す その意味するところ 一つには

「七福神でゴミゼロ」 二つには「なごみの輪」なり なごみの輪は人の和 人と自然の調和に通ず すなわち七福神に託された折り ゴミゼロ運動により神仏への畏敬の念育むこと および心穏やかな人の輪(和)を広げることに他ならず 信仰の島 屋久島から発せられしこの折り 必ずや大震災被災地に届き やがて真の日本再生につながると確信す 屋久島七福神に託されし毛利氏および島民の大いなる志 遠からず実現せんことを折り 本日 屋久島七福神霊場開創大法要を執り行うものなり 大導師には高野山真言宗宗務総長・庄野光昭大僧正を迎え 高野山真言宗傅燈大阿間梨・大僧正・鹿児島市烏帽子山最福寺法主・池口恵観 これを補佐す 日本国高野山真言宗宗務総長・庄野光昭師 および我 鹿児島市烏帽子山最福寺法主恵観 今ここに真言密教の修法にのっとり大法要を執り行い 心より屋久島七福神霊場の成功を祈念し奉る

 仰ぎ願わくは、屋久島七福神霊場開創が 人と自然が共生する信仰の島 屋久島のますますの発展 屋久島島民の幸せ さらには大震災被災地の復興 日本国の平和と繁栄 世界恒久平和 人類永劫安寧の礎となって

諸仏諸菩薩諸天善神とともにとこしえに我らの進むべき道を照らし給いて 平和への架け橋となり給わんことを

 惟時平成二十三年十月十七日日本国鹿児島市烏帽子山最福寺法主・高野山傅燈大阿間梨・大僧正・百万枚護摩成満行者        恵観 敬白

 

 

後 夜 祭

 屋久島七福神霊場開創大法要後夜祭が、去る1017日、屋久島いわさきホテルにおいて盛大に開催され、脇導師を勤めた池口最福寺法主が、同霊場開創への思いを披浬した。

  毛利会主司会により開会し、次の各氏が祝辞を述べた。

  平原高野山枢議は「最福寺の弁財天は世界一の弁財天である。その弁財天のお導きにより屋久島と高野山を結びつけ、屋久島の未来に大きな希望を与えて下さった。屋久島が単なる観光地でなく日本文化の発信地となり、七福神巡りが日本を救い時代を作っていく事を念願する。日本は和の国であり、東北大震災は大変な事であったが、暴動も略奪もないすばらしいところである。七福神霊場が日本再生の糸口となる事を期待し、世界人類の平和実現に向けて更なる精進を願う」と。

 

 庄野宗務総長は「屋久島には紀元前からの大木があり、高野山でも『高野六木』といって杉、松、桧、高野槙、樅、栂を特に大切にしている。弘法大師が嵯峨天皇から高野山を下賜され、あと3年半で1200年を迎えるが、お大師様は常に済世利人という大きな願いを持っておられた。3月11日の東日本大震災直後は物品の支援を行ったが、高野山では森林セラピーとして森の中で心を癒すという活動を通じて近隣や福島県の子供達、父兄を招いての森林浴、林業体験、更に、森林に入り動植物に触れ、自然に触れて命の大切さ、互いに生かし合っている事を学んで頂いている。

また、遺体収容に当たった若い自衛隊員の心の痛みを癒すために、11月にも森林セラピーを実施する事になっている。

屋久島の縄文杉や海の豊かさに七福神が加わり、心への道が開けた。そんな環境の中で屋久島と高野山がお互いに幸せになる第一歩である」と。

 

 池口最福寺法主は「開創大法要において、屋久島の益々の発展、未曾有の国難状況にある日本国の再生など、真言密教伝統の修法に則って全身全霊でお祈りして頂き、屋久島七福神の前途は順風満帆間違いなしと確信した。屋久島七福神霊場は、毛利英樹氏が屋久島伝統の自然と共にある信仰心が更に磨かれ、屋久島の大自然が末永く維持される事を願って開創されたものであり、聖徳太子の『和を以て尊しとなす』以来の日本伝統精神である人の和の実践の折りを込められた。私も、若い頃に屋久島に七福神巡りの構想を持っていたが、諸般の事情で実現出来ず、そこへ毛利氏から『屋久島に恩返しがしたい』という相談を受け、七福神霊場開創を進言させて頂いた。そういう意味では、毛利氏を通じて私の若き日の思いが実現され万感胸に迫るものがある。屋久島七福神から発せられる神仏の光、そして参拝される人々の折りの光が、日本再生を照らす光となってくれる事を祈念する」と。

 

 曽根定蓮寺住職は「人生は出会いによって広がるものであり、お大師様がいなかったら、このような出会いはなかったであろうし、池口大僧正が生まれてなかったら今回の企画もなかったであろう。七福神は幸せをもたらしてくれる神様である。幸せというのは笑顔に繋がり、『ありがとう』と言える事であり、幸せの神が屋久島にご来臨したという事である。出会いを作ってくれた事に感謝し、一人ひとりが悔いのない生き方で輝けるように念じたい」と。

 

 日高十七郎屋久島町長は「高野山と屋久島が強い絆で結ばれるという事は、救国プロジェクトの始まりである。

毛利会主から七福神霊場開創の主旨をお聞きし大いに共感した。屋久島は、自然に対する畏敬の念の強い山岳信仰の島であり、七福神霊場の開創は歴史に残る大きな出来事である。4月からは心身を癒して頂ける「ケアアイランド構想」を進めており、七福神霊場開創は、まさに時を得た事業である」と。

 

 岡部山林部長は「一つ目は東日本大震災犠牲者と、毛利会主のご尊父様への供養の献杯、2つ目は、七福神霊場開創を発願された今大師と言っても良い池口法主、大導師をお勤めになった庄野宗務総長、暑い中で参列された人々に感謝の杯、3つ目は、屋久島と高野山の益々の発展、屋久島七福神に多くの人々が参拝して頂ける祈願の杯、この3つの意味としてお願いしたい」と挨拶の後に乾杯を行い祝宴に入り屋久島出身の歌手である日高正人氏による「屋久昌涙歌」の奉納や、祝電披露池口豪泉師による密教瞑想会(月輪観)で盛り上がり、池口法主が七福神霊場開創への思い(別掲)を披瀝し、更に七福神を祀る地区を代表して川崎太一中間区長と藤山倉作春牧区長のスピーチ、朱印ポスターの案内などがあった。 

 

最後に、池口豪泉最福寺資が「本日の大法要を出発点として屋久島七福神霊場は毛利会主を中心に発展する事と思う。何をするにも人の繋がりが大切であり、出仕の先輩僧正方にもお世話になった。島の方々にもお世話になり、毛利会主とは小学校からの同級生で、藤山区長は高校の後輩として動いて頂いた。朱印ポスターには、各七福神の朱印と、その元となった最福寺の大弁財天、大弁財天の雛型となった高野山上池院の弁天様の朱印も入るようになっており、世界遺産の屋久島と世界遺産の高野山を世界一の弁天様がつなぐという霊場である。 高野山のみ教えによって屋久島を進化させ、屋久島の自然の力によって高野山にも人が集まり学んで頂けるように願っている。どうか、屋久島各地区の人々に霊場を守って発展させて頂きたい。屋久島からお帰りの際にはプロジェクト7530に沿ってゴミを1つでも拾って、その願いを周りの人々にも伝えて頂きたい」と謝辞を述べた。

 

 

屋久島七福神霊場  開創への思い    

 烏帽子山最福寺法主    池口恵観

 

 日本に屋久島あり縄文杉あり、これを守る島の人々の心あり。雨に恵まれ、太古からの生命を私達に示してくれる縄文杉は、地球の宝として世界遺産になった。この聖なる島に、いまや毎年30万人を超える観光客が訪れる。大変嬉しい事ではあるが、それだけの人達が、深山を分け入って「お山」に登る事は、一方で屋久島の自然を損なうのではないかと、危倶してきた。

 日本一の霊峰である富士山がいまだ世界遺産に登録されないのは、「お山」でのゴミの処理などが問題になっているためだと聞いた事がある。

 日本には、古くから山岳信仰が根付き、私ども行者は自然の中で修行して祈りの力を磨いてきた。「お山」とは、登山や珍しいものに触れる観光のためだけのものではない。本来は、人々の祈りを受け止めて叶え、苦しみを癒し生命を再生する「聖地」である。

 屋久島は、その清らかな地としての大いなる力を秘めた地であり、この島を訪れた人々は、霊気を存分に吸収し、癒やされて心を再生して帰っていくのである。

 多くの人達が置いていく「苦しみ」を慰めて仏様の懐に戻す事によって、島の霊気はいっそう強まる。私が七福神霊場を開きたいと

願ってきたのは、屋久島という聖地を守るために、たくさんの人々に折りを受け止める場を作りたかったためである。

 屋久杉をはじめ、この島に生い茂る樹木は長い年月を生きてきた。この地に生まれ、この大地に根を下ろし、激しい嵐を数え切れないほど乗り越え立派な姿となって島を守り、地球を守ってくれている。屋久杉が私達に注いでくれる生命力には、私達のご先祖様が生きた時空が込められている。 霊場開創にあたり、太古からの自然と祖先の恵みが、祈る者達に一層降り注ぐようにと祈りながら、特に祈りの場としてふさわしい所を選んで、七福神にお出で頂いたのである。

 ご先祖様は生命の根であり、人はその根から恵みを頂きながら生きている。ご先祖様を大切にする事は、生命の根に栄養を注ぐ事である。こうして、屋久島の自然や樹木達に祈る事は、大いなる生命の根に栄養を注いで、私達に生きる輝きを頂く事である。

 お大師さまは「陀羅尼とは仏、光を放つ、光の中に説く所なり」と説いている。生命の光のなかで生きている私達。その流れの上流には、ご先祖様の霊があり、そのお蔭が私達を守って下さっている。「見えないおかげ」に感謝して生きましょう。「おかげ」を頂くだけでなく、他の人にあげましょう。人も我も大きな利益をと考えて、見えない「お蔭」の働きをするところに、仏さまの光が慈雨となって注がれるのである。

 祈りとは、光を求めるものである。屋久島七福神霊場に、多くの方々の折りが集まるように、縄文杉を頂く清らかな聖地として守ら

れるようにと祈り、皆様の幸せを祈る。  (要旨)

 

 

 

H23.11.5 最友

 

   

〈屋久島七福神霊場4〉

 《鎮座開眼祈願 十月十六日》

 屋久島は平地でも4000mmと、日本の年間平均降水量約1750mの2倍を遥かに超える雨の多さという統計に違わず、3日前の準備部隊似入島段階から土砂降りが続いていましたが、屋久島七福神鎮座開眼の行われる十月十六日は前日までの天候が嘘のような快晴。鹿児島からのツアー第一陣と合流して、屋久島七福神霊場第一番吉田地区の弁財天様から鎮座開眼祈願がはじめられました。

 吉田地区は、ラムサール条約登録されているウミガメ産卵地として有名な永田浜の近くに位置し、NHK朝の連続ドラマ『まんてん』の舞台としても知られ、弁財天様の祀られた森山神社では田中区長をはじめ数十人の区民の方々が、弁財天様へのお神酒や果物などのお供え物を揃えて準備万端で一行の到着をお待ちになっており、到着後早速祈願が始められました。

10数名の行者の読経の声の中、豪泉帥の修法が進み、弁財天様の目に筆が入れられると皆から感嘆のため息がもれ、第一番吉田地区の弁財天様の鎮座開眼祈願を終えました。

 田中区長、毛利会主のお礼の挨拶の後、豪泉師の法話で一連の儀礼は終わり、その後、吉田地区の皆さんがご用意下さったツアー参加者に対するお接待を急いで頂いて、次の霊場へと向かいました。

 二番宮之浦地区は高速船の乗り場などがあり、ここの祈願から関東、関西からのツアー参加者も合流し、衆議院議員の森山裕代議士と県議会議員の日高しげる氏も参加されての福禄寿の鎮座開眼祈願となりました。

 三番の布袋尊は屋久島空港の道路を挟んだ真向かいに位置しており、その回りに立てられたのぼりの朱もあり、空港に降り立つ人の耳目を集めながらの鎮座開眼祈願でした。

 四番の安房・春牧地区の毘沙門天はヤクスギランドや縄文杉への登山道入口に面しており、六番の寿老人も屋久島を一周する県道沿いに鎖座され、島内を移動する人が目にする機会も多かろうと思われます。

 途中、明日の霊場開創法要会場の七番恵比寿尊のおられる尾之間仏峯を通過する所で、当日鉄棒曳きなどの配役があたっているツアー参加者はここでツアーを離れ、習礼(予行演習)に参加、残りのツアー参加者は、鮫嶋勇明師の導師で行われる中間地区の、屋久島最大のガジュマル (天然記念物) の傍の5番大黒天の鎮座開眼祈願に向かいました。

 

屋久島七福神霊場開創法要

           十月十七日》

 〔神式祈願〕

 十月十七日、快晴の空の下、屋久島七福神霊場開創法要が執り行われました。

 まず、屋久島の一品宝珠大権現を祀る式内社の益救神社の神式祈願が執り行われ、大牟田信文宮司によって祝詞(のりと)が奏上され、関係者により玉串が奉奠されました。

 〔稚児行列〕

 神式祈願の後、近くの幼稚園の園児たちによる稚児行列が行われました。古来、稚児行列に参加すると健康で大禍なく育つといわれ、その愛らしい姿が会場に清涼な風を運んでいました。

 〔仏式祈願〕

 1045分、集会所では会奉行の赤星善生僧正、池口豪泉僧正により、参列僧正方に法要の次第、配役、諸注意などが披露され、いよいよ本番。

まずは道場入口に掲げられた台湾の悟空氏寄贈の地蔵大幕の前で稚児と写真撮影。その後、二行に立列しての庭讃発音を合図として法要が始められました。金棒曳きの先導で、鐃、法螺、鉢の響きにのって職衆が散華しながら行道、その後ろを赤い大傘の下、脇導師、相談役が進まれ、最後尾には天蓋を差掛けられた大導師様が進列。高野山でも稀にしか見られぬ厳儀、古式ゆかしき庭儀曼茶羅供の絵巻が眼前で繰り広げられていきます。

 僧正方内陣舞台に登壇後は、庄野大導師様の修法のもと、参集諸大徳による唄、散華、対揚、唱禮、中曲といった南山の声明の響きが屋久島の緑の中に本霊しました。その間、チハヤを身に纏った女性たちにより灯明、お花、お香が供えられていきます。豪泉師の朗々と読み上げる慶讃文の後、同師の太鼓、行者の錫杖に合わせ不動真言が唱えられ、屋久島の一品宝珠大佐現、七福神などの真言が唱えられ、法要は無事終了しました

 《祝賀パーティー》

 法要の夜は場所をいわさきホテルに移し、祝賀パーティーが催されました。司会は皆の突然のご指名で、毛利霊場会会主が務める事となり、挨拶のほうも次々と前触れなしのご指名で行われました。大導師の庄野光昭貌下のお言葉や、鹿児島県知事や鹿児島市長の祝辞を織り交ぜた平原一雄先生の挨拶の後は、屋久島出身の歌手日高正人さんが『屋久島哀歌』を奉納、岡部兼海高野山企画室長の御発声で乾杯へと進みます。

 

 地元の屋久島からも日高十七雄町長、日高典孝副町長に加え、中間地区の川崎区長や四番の安房・春牧地区のまつばんだ交通の藤山倉作会長ご夫妻ご一行様や七福神の設置にご尽力頂いた稲森ご夫妻などが参加されました。

 会が落ち着いた頃、ホテル前庭で豪泉師指導のもと月輪観が行われました。会を中座しての希望者だけのものでしたが、半数以上の人が参加して屋久島の星空の下での瞑想のひとときに浸っていました。池口恵観法主の挨拶の後は、今ひとたび日高正人さんの歌声が響き、豪泉師の締めの挨拶で盛況のうちに会は終わりました。

 《観光》

 ツアー最終目は、『もののけ姫』でも有名となった屋久島の森の神秘を弥生杉や二代大杉のそびえ立つ白谷雲水峡やヤクスギランドで感じ、ガジュマル園で南国独特の植物の不思議に触れ、海路、空路それぞれに分かれて屋久島を後にしました。(豪泉)

 

 〔出仕参列御寺院様〕

大導師/高野山真言宗宗務総長 庄野光昭貌下

相談役/高野山真言宗宗機顧問 百萬枚護摩行者 池口恵観大僧正

脇導師/愛媛定蓮寺 曽根義泉名誉住職

職衆一臈/唄 高野山真言宗山林部長 正覚院 岡部兼海僧正

  二臈/ 横浜大光寺  須藤哲乗僧正

  三臈/ 高野山高校校長 岡部観栄僧正

  四臈/散華  岡山安楽院 阿河康真僧正

  五臈/対揚  広島薬師寺 後藤密童僧正

  六籠/中曲  鹿児島支所長 薬師寺 小森良峯僧正

      七龍/経頭・鐃 江ノ島大師 池口雄紹僧正

  八臈/讃頭・鉢 兵庫不動寺 鮫島勇明僧正

 会奉行/熊本金剛寺  赤星善生憎正

 会奉行/慶讃文・太鼓 鹿児島西大寺  池口豪泉僧正

 

 

 

H23.10.24  南日本新聞

 

屋久島町尾之間出身で、鹿児島市で歯科医院を開く毛利英樹さん(47)が、故郷への恩返しとして、屋久島の7集落に「七福神」を奉納した。

 毛利さんは小学1年まで屋久島で育った。

里地の観光拠点として5年ほど前に「屋久島七福神構想」を考え、島民や関係者ちと準備を進めてきた。

 七福神は吉田、宮之浦、長峰、春牧、中間、麦生、尾之間の7集落にそれぞれ配置。17日、尾之間であった開創大法要では、島の山岳信仰に関わりのある益救神社の宮司による神式祈願や、最福寺(鹿児島市)の池口恵観大僧正などによる仏式法要があり、関係者や住民ら約300人が参加した。

 毛利さんは「七福神が四国八十八ヵ所霊場のような信仰の場として、また観光拠点として、百年、千年続くよう地域のみなさんで育ててほしい」と話した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



 


 

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