歴史

 

~歴史・不思議なご縁・仏縁~

私の個人的な いや屋久島毛利家の 想いと 不思議な 仏縁、

屋久島七福神構想までの流れ

屋久島毛利家は 私から遡ること 4代前のご先祖様が
明治時代に 屋久島 尾之間に 医者として赴任したことに始まります

その子が 屋久島の地にて 大正時代に警察官に 
その後も 昭和の時代に 屋久島の農業分野や行政分野、教育分野などで 子孫が活躍してきました

私の父も 昔の尋常高等小学生卒業後から 60歳の定年まで 45年間 屋久島の役場にて 行政職を全う致しました

私個人も 小学1年まで 屋久島で生まれ育ち、小学2年の時に 兄の進学と共に 鹿児島市の紫原に引越ししました

最初に遊びに行った 友人の家が 紫原・最福寺、そこで 池口家と知り合うことになったのです

最福寺とは プロ野球選手・オリンピック選手や 国会議員 各国の首脳陣、
また難病や不治の病で苦しむ人々が 祈願に訪れる 高野山真言宗系の お寺・祈願寺です

巨人時代の清原選手や 現在の阪神金本・新井選手の 護摩行でも有名ですよね

長男・豪泉氏とは 小・中・高の 同級生!
私が 鹿児島大学歯学部を卒業し 神奈川・東京にて歯科臨床を修行をし 鹿児島にて開業後も
クリニックのお祓いや 節目節目の 祈願、アドバイスなど 最福寺には 本当にお世話になってきました

また、厄年の厄払いをきっかけに 護摩行にも参座することになりました
己の精神修養のため、世のため人のためにと 月に1回以上の 護摩行にも 励んでいます



そして 数年前紫原の実家の近くにある紫原最福寺に、両親と私の三人で池口惠觀法主を訪ねました。
要件が終わり、雑談になったとき、屋久島へのご恩返しの件についても、何か良い智恵がないものかと、相談しました

その後 私と父が中心になり 屋久島への恩返しのために 屋久島七福神構想をスタート致しました

2010年 7月 父が急逝いたしましたが 親父の意志を受け継ぎ
故郷屋久島のために、また親父の供養のために 本業の歯科医療と共に、ライフワークのひとつとして頑張ります

2011年9月に 関係各所に送った 趣意書です
 

 


  屋久島七福神霊場  設立趣意書

 謹啓 新秋の候、皆さま方にはますますご清栄のこととお慶び申し上げます。
また、日頃は格別のご高配を賜りまして、誠にありがとうございます。 
衷心より厚く御礼申し上げます。
 本日は、「屋久島七福神霊場」設立についてのお知らせでございます。

 私、毛利英樹は昭和三十九年四月に屋久島・尾之間で生まれ、小学二年時から鹿児島市紫原に移住し、平成元年鹿児島大学歯学部卒業までをこの地で過ごしました。その後、東京、神奈川での歯科医師修業時代を経て、平成六年四月、鹿児島市鴨池新町にて毛利歯科クリニックを開業致しました。平成十四年には法人化し父母の名を冠した医療法人慈尊幸徳会・毛利歯科クリニックを設立、現在に至っております。
 また毛利歯科の経営が軌道に乗ってきた頃より、家族間で故郷屋久島に何かご恩返しができないものかと考えておりました。歯科医療等での貢献についても理事会等で検討しておりましたが、地元歯科医師会との関係も考慮いたしまして、他の方法でのご恩返し・貢献を模索してまいりました。

 一方、私は現在、高野山真言宗の平川最福寺にて真言密教の修行をする身でもあります。ちなみに高野山真言宗は弘法大師空海の教えを受け継ぐ真言宗直系の宗派で、最福寺の池口惠觀法主は高野山真言宗の大僧正、 傳燈大阿闍梨であると同時に、 百万枚護摩行者、医学博士として広くご活躍されています。また、惠觀法主の長男で東串良西大寺主である池口豪泉氏は、私の小・中・高の同級生でもあります。

 数年前に、紫原の実家の近くにある紫原最福寺に、両親と私の三人で惠觀法主を訪ねました。要件が終わり、雑談の際、屋久島へのご恩返しの件についても、何か良い智恵がないものかと、相談してみますと、惠觀法主も 三十年ほど前に、屋久島に七福神霊場を造る構想をお持ちだったことを明かされました。その屋久島七福神霊場構想は天の時を得ず、頓挫を余儀なくされたとのことであります。そして、惠觀法主から次のような示唆をいただいたのでございます。

 屋久島は世界遺産にもなり、世界的に注目される神秘的な島である。国内外からの観光客が増えることは良いことではあるが、弊害も伴うだろう。そこで、七福神霊場を造り、七福神霊場巡りの場を設けることによって、来島した方々に神仏に頭を下げていただけば、自然のありがたさ、生命の尊さ、ご縁の大切さを感じていただくとともに、屋久島の存在意義もより気づいていただけるのではないか。現在、屋久島には、山を登って大自然や屋久杉を見ていただくこと、平地の観光地を巡っていただくこと、釣りなどがセールスポイントであるが、七福神霊場巡りという招福の場を造れば、屋久島に新たな付加価値ができ、屋久島のさらなるアピールにつながるのではないか―。
 惠觀法主の示唆に耳を傾け、私も両親も大変感動いたしました。

そこで池口恵観法主・池口豪泉僧正のご指導の下、岳参りなど山岳信仰、信仰心の篤い七つの集落を中心に 各集落の信仰心の象徴、また観光の目印のひとつになればと屋久島への恩返しの一環として七福神の石像を奉納致しました。
屋久島七福神構想には、プロジェクト7530に象徴される大きな2つのコンセプトがございます。

① 七福神でゴミゼロ
 七福神を奉納している場を美しく、その集落を美しく、そして屋久島全体が美しい島になるようにとの願いをこめて。また世界自然遺産の島・屋久島を永久に存続させるために。
最初の世界自然遺産の地、ガラパゴス諸島などもごみ問題などで世界危機遺産になってしまった経緯もございます。日本の富士山もまた然りです。ゴミを出さない、ゴミを拾ってきれいにするこの行為が、屋久島の地から他の世界自然遺産への地へ拡がっていければと考えています。
七つの点がつながり、線となり、縁となり、美しい光となり、屋久島→南九州→日本→世界へと拡がりますように。

② 七福神で なごみの輪  
世界自然遺産の島であり、島全体が信仰の島である屋久島。
七福神霊場を巡る旅をすることで、神仏に頭を下げ、大自然に畏敬の念をもつ。
そしてそこに集まる人々の心がきれいになって欲しい。
屋久島遍路旅をするような心のきれいな人々が集まることで、善い気が集まり、
つながり、こころ穏やかな、こころ豊かな人が少しでも増えて欲しい。
そういう願いをこめております。 
和みの輪となり、光となり、屋久島→南九州→日本→世界へと拡がりますように。

また、七福神霊場として七つの場所を屋久島内に定めれば、これらの霊場が島内観光をする上での大きな目印となり、相当数の巡礼者や観光客が立ち寄れる場となります。このような巡礼者や観光客は、巡礼用品や土産物品をはじめ、屋久島に関する情報を得たいと思うことでしょう。このようなニーズに応える場所を霊場の近辺に設置していただければ、地元の雇用機会を生み、ひいては故郷屋久島への恩返し・貢献にもつながるのではと考えております。

 私は、本業である毛利歯科クリニックでの歯科医療を通して社会貢献を大切にしていますが、さらに屋久島七福神霊場の造営を自分自身の人生のライフワークに定め、一昨年より綿密な計画づくりに着手して参りました。

 そんな折り、昨年七月二十九日に父・毛利幸則がくも膜下出血にて急逝。大きな悲しみに包まれましたが、平成二十三年七月二十九日にて一周忌の法要も終えることができました。屋久島七福神霊場造営は父親の遺志でもございました。
 私は亡き父の遺志を継ぎ、屋久島七福神の完成に向け、誠心誠意努力してまいる所存です。なにとぞご理解、ご協力を賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。
敬具

  平成二十三年九月吉日
              屋久島七福神霊場会 会主  毛利 英樹


               

その後も ゆっくり着実に準備を重ね 不思議な御縁も拡がりをみせ
夢の実現へと 一歩一歩進んでおります
今後も 師、ブレイン、アドバイザー、関係各所、地域の方々のご意見を参考にしながら
より善き 屋久島七福神霊場へと 育っていけばと 願っております


いつも心に太陽を

 明るさを こころに言葉に行動に


 こころ穏やかに こころ豊かに

      合掌    龍英

 


 

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